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テンポスタッフ

Author:テンポスタッフ
東京都杉並区西荻窪にて新装開店の中野書店です。

インターネット販売と、年3~4回発行予定の目録「古本倶楽部」を中心に書籍販売をしております。

また、2015年3月より毎土曜日は閉架式にて書籍をご覧いただけます。
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「古本屋奮闘記」第6回
「T・N氏の生活と意見-私はこうして値を付ける」

「古書月報」1995年6月発行350号
〈古本屋考現学〉連動企画「特集随筆 古書価のメカニズム-私はこうして値を付ける(第4回)」での掲載文です。

「T氏曰く、本屋にとって一冊の書物との関係は一期一会、お客がついて売れてしまえばそれっきり。同じ本でもコンディションは各々異なるし、当然売価も違ってくる。さらに以前売った本を再度入手したとしても、顧客の興味や需要、或いは売り手の認識、取扱い分野はその時々で微妙に変化することであり、当然その結果は売価に反映する。もちろん売買ともに勘違いも間々ある事。交換会の落札値もご同様で、いわば古書の価格なんぞは女心と秋の空。誰がどんな値を付けようと、どこからも文句言われる筋合いなんかありっこない。売れるか否かはお客の気持ち次第。売れればそれで良し、ついに売れなきゃ本屋の勉強不足として見切るか、在庫を抱えるだけのことさ。
 またN氏曰く、いや古書の価格は自ずと体系的にならねばいけない。一冊の書物にはそれぞれに内容の良し悪し、装幀や状態の美醜、流通の多寡、さらには需要度(人気)がある。こうした諸条件を総合した上で業者は売価を決定すべし。売り手、買い手ともに納得できる価格こそ「相場」であり、良質たらんと欲せば「相場」に通暁すること必須であろう。それには当然多くの売買経験と書物についての不断の検索が必要となり、専門店というのも、ついにはそうした経験と勉強の累積の上に成立するのである。
 さて両氏のご意見を拝聴したT・N氏。つらつら考慮するに、確かに古書は飯の種、売れてくれなきゃ生活に窮し、さりとて仕事に見識は持ちたい。T・N氏はかって独自の相場表なるものを試作したことがある。文芸書の主だった作家の初版本を刊行順に羅列し、他社の目録や市場の値を参考に、標準売価を記したもので、かれこれ一年ほどもかかって作成した力作であった。が、今は全く使わない。一人の作家ですら十年も経つと個々の評価にズレが生じ、相場の目安にすらならないのである。では当時の勉強が無駄であったかと言うと、そうでもなかったと考える。本に価格を付ける「勘」は養われたと自負している。或いは役立たないモノを勉強することが本屋の真骨頂かもしれぬ、などと悦に入って居る昨今である。
 さて、T・N氏の値付けの方法はと云えば、まず第一に目録に載せられるか否か、が大きな分岐点となる。今は大体2千円がロアー・リミット。次に二千円、二千五百円、三千円、三千八百円、四千五百円…とやや変則的なランクのどこに位置づけるかが問題となるが、これには、経験、仕入れ値、他店の目録、調査の結果等々が渾然一体となって、さていくら、となる。かなり情緒的たるをまぬがれない。メカニカルなものと大蹠に位置するものであるが、やがていつの日か誰に公言するのも憚らない価値大系、価値基準を得たいものだとあこがれて居るのである。こうしてT氏の意見に身を寄せつつ、遥かN氏を仰ぎ見て、T・N氏の古書道はさらに続くのである。」
「古書月報」1995年6月発行350号
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「古本屋奮闘記」第5回 
古書月報341号1993年12月 特集21世紀をみすえて
古本商品学・再考 アンケート「古書」と「古本」に応えて。

語義を問い正そうと云うのではない。古本屋が書物の評価をする際に持つ基準に、両儀があるのだ、と考えたい。
古本(的価値)…実用的価値。曰く名作である駄作である、面白いつまらない、情報が新しい旧い、高級だ低俗だ等など。その実用度によってのみ価値判断される本。つまり世間一般に云う「読みもの」としての書物の価値(ねうち)はここに在る。
古書(的価値)…付加価値。曰く絶版だ初版だ、処女作だ、代表作だ。カバー、函、帯、識語、版画入りだ云々。或は題簽付だ、原装だ、初印、○○家旧蔵、○○筆、料紙等々。さらには時代、美醜、人気、流通の多寡など、一冊の本の持つ実用(内容)プラスアルファの諸条件の評価。これらの価が零もしくは可成り低い場合、その本の評価は「古本」としてのみ成り立つ。
或る人々には残念なことかも知れないが、人が(本屋が)思う以上に本を評価する際の実用的価値は低く低く見られ、付加価値の占める割合は高い。「吾輩ハ猫デアル」の文庫本と、初版カバー付三冊揃いの値段との差異の如くに。
おお書物よ、汝、ロバか英雄か。
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「古本屋奮闘記」海外買付の巻  
第3部 北京驚嘆篇

先週末の土曜から火曜日にかけて北京に行ってきました。遊びじゃなくて、お仕事です。
何してきたかと申しますと、古書のオークションへ参加してきたんです。私は漢籍には疎くて、結局何も買えなかったので、参加というより視察みたいなものでした。あちらでは日本のような業者だけの古書の市場というのはなくて、欧米風のオークションがとても盛んです。もちろん一般の人も商売人も、同じ条件で参加できて、開催方法も極めてオープンです。

その点、日本の古書のオークション、明治古展会の七夕大市とか古典会の下見展観入札会とかは、どうも商売人の立場が優先されていて、少し閉ざされてるな、とも感じます。まあ日本は日本の方法があるので、なんともいえないのですけど、やがてはこうしたオープンなスタイルに変っていくのかなとも思っています。

で、中国へは、ここしばらく親爺が楽しみがてら通っていたのですが、今回は事情があって選手交代しました。土曜日に行ったその足で中国書店のオークション責任者としばらく話をして、日曜日には二ヶ所で古書のオークションに参加しました。もうこの日は朝10時から夕刻まで、ずっと、競売漬け。

朝方は「中国嘉徳」というあちらの最大のオークション会社の主催する古籍善本、つまり古書のオークション。この会社は最近銀座に支店を出したのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。ともかくそのオークション。そして午後からは中国書店の開催する春のオークション。こちらはそれほど高値のものはありませんでしたが、それでも何百万円クラスはぞろぞろありました。

一日坐っていると、さすがに疲れ果ててしまうのですが、ことに午前中のホテルで開催された中国嘉徳のオークションなんかは、別の部屋で絵画や骨董品の競売も開かれており、サザビィやクリスティーズも真っ青になりそうな盛況ぶりでした。ことに今回の目玉は陳精華さんという有名な古書のコレクターの収集品が出品され、なかには数千万!? と、驚くような高値の古書が何点もあったりして、眠い目もすっかり覚めてしまいました。

この珍精華さんという人は、もう30年くらい前に亡くなられているんですが、上海の名門大学を卒業後に、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校で経済学を収めて、帰国後は銀行家としてお金持ちになりました。30過ぎくらいから古書の収集をはじめたらしく、膨大な蔵書を誇ったようです。インテリのビジネスマンですね。日本ではお金持ちと教養はかならずしも結びつかないようですが、中国では伝統的に財と知が結びつくのが理想なんですね。お金をもうけたら私財を惜しまずに本を集めて、文化人の交流サロンを設けて知識の伝承をしてゆく、みたいなのが良いとされている。ちょっと以前の中国はなかなか難しい事情があったのはご承知の通りだと思いますが、この方はやがてアメリカに行ってそこでなくなられるんです。で、今回の出品物はそのご遺族の持っていられた品物だそうです。

近代以降の日本でいえば徳富蘇峰さんの成簣堂文庫とか、二代目の安田善次郎さんの松廼舎文庫、これは残念ながら大正の震災と第二次大戦で失われてしまいました。また天理教の中山正善真柱さんがお集めになった、天理図書館なんかが、それに該当するのでしょう。

ともかくすごい値段でした。このカタログの真ん中あたりに5点、掲載されているのですが、その落札された総額は1300万元、日本円にしておよそ2億円くらいです。5点でなんと二億円です。

ちょっと話がずれますが、このコレクションの最初の品は湘山野録(しょうざんやろく)という明末の本で、文瑩(ぶんえい)さんというお坊さんのまとめた、北宗時代の偉い人や文人など色々な逸話なんかを集めた面白い本なのです。例えば杜撰という言葉があります。これは中国に道教という古い宗教があるのですが、これは中国の古い神様とか仙人の話と、老子の教えを一緒にしたような宗教でして、漢の時代の終わりごろに仏教が伝来してくると、その教えである大蔵経に対抗するために五千巻のお経、「道蔵」というのを作ったんですね。理論で負けないように。ところが、このお経、実は二巻だけが本物で後はほとんどがずっと後の、唐の末の時代に杜光庭という学者の作った偽物だ、というんです。そこから、いいかげんなものを杜撰、つまり杜さんが撰したような、しょうもないもの、というようになった、なんてことが書いてある。

また宋の二代皇帝の太宗さんは不思議な掛け軸を持っていて、昼間はなんにも絵が見えないのに、夜になるとちゃんと牛が寝ころんでる。昼は牛が草を食べにでかけているらしいというんですね。実はこれは南倭の人が海から採った特別な絵具で書いたものだ、というんです。南倭ってどこかというと日本なんです。つまりその頃の日本、平安時代の終わり頃ですが、夜光塗料らしきものがあったというんですね。

そんな面白い本ですし、ご覧いただけるとわかるのですが、判子がいっぱい押してある。書き入れもある。これは現代に近い新しい本でしたら、汚れありとかになって安くなるんですが、古い本ですと逆に伝来の確かさを物語っている。これは日本の和本も同じ事情です。で、これは明の終り頃の刊行物、日本でいえば江戸の初期くらいですね。その本が370万元、およそ5000万円でした。中国と日本の物価の水準から考えると、その数倍という感覚でしょうね。数億円という感じ。

正直に申しますと、すこし過熱気味だな、バブルじゃないかな、とも思ったのですが、なにせ勢いは今の日本の比じゃないですね。もちろん漢籍には素人の小生ごとき、手も足もでない。すっかり視察だけの一日でした。

ともかく初めての北京でしたが、来年のオリンピックを控えて今まさに建築ラッシュ。町並みは整理され、走っている車はピカピカの新車ばかり。有名な自転車やバイク洪水は、すっかり影をひそめています。是非はともかくも、目覚しい発展ぶりには驚くばかりでした。どこが社会主義だ? というくらい経済の自由化は進んでいます。

もちろんこれは都会に限ることでしょう。時折マスコミで報道される通り、貧富の格差も確実に広がっているようです。これからの、この大国の舵取りは本当に大変だろうなとも感じました。

さて、仕事とは言いながら、昨日(月曜)は35度の暑さのなか万里の長城を汗だくになって登りきり、今朝は駆け足で紫禁城を巡って、そのまま帰国しました。痩せるかと思いきや、あちらは実に飯が美味いんだなあ、これが。毎夜あれこれ出かけました。お昼に食べた大衆食堂のようなところの水餃子が、安くて美味かったことも忘れがたいです。

ちなみにこのお昼にたべた水餃子が3人分で大体600円くらい。で、さきほどのオークション会場のホテルで飲んだ珈琲が一杯で500円くらい。ここは社会主義の国だったよな、と、なんか複雑な感覚でした。

で、この二番目のオークションの会場となったところがルーリーチャン(瑠璃庁)という北京の有名な骨董や古書の街です。ただ書画や骨董とか墨や硯なども売っていて、どちらかと言えば骨董街という感じです。現在では神保町にあたるのは海淀区(かいていく)にある図書城という場所です。ただし神保町のように横に並んでいるのではなくて、お城のなかに国営書店やら個人商店やらの専門書店がひしめきあっているという話でしたが、今回はそこには行けませんでした。

世界には様々な古本街があることはご存知だと思います。ロンドンのチャリング・クロスとかフランスのセーヌ左岸、行った事はありませんが台湾や上海にも古本屋の街はあるそうです。ただし規模としては日本の神保町がおそらく世界で一番でしょう。

2008年4月
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「古本屋奮闘記」海外買付の巻  
第2部 倫敦黄昏篇

「霧のロンドンとは誰の言ったセリフか。折りたたみ傘を荷物の底にしのばせていた私は、6月12日、からっ晴のロンドンに到着。その後一週間帰国まで快晴は続いた。今回も斉藤さんに同行。あやしい二人の関係なのだ。
前回のニューヨーク行から僅か3ヶ月あまり、よもや再び機上の人になるとは、予想もしていなかった。カタログがいけなかったね。クリスティーズのカタログが。奈良絵本、絵巻が十余点。私はこの分野が好きなのである。すぐに熱くなってしまう。
○奈良絵本「源平盛衰記」五〇巻(!!)揃い
○住吉弘行筆「神宮皇后三韓退治絵巻」三巻
○「熊野権現絵巻」三巻寛永一四年写
他にも「竹取物語」「たむら物語」「弁慶」「鉢の木」等々、日本の市場では、現在なかなか出現しない逸品。ともかくも見てみたい。行ってみたいが先にたち、お金のことは親父まかせ。「またですか!?」と迷惑顔の女房を説きふせて旅立つ。
どことなくいやな予感がしたのは、同便の飛行機で、関西の思文閣さん、中尾さんとはちあわせしたことであった。下見会場に着いてみると、なんと、八木書店の八木壮一さん、安土堂の八木正自さん、ニューヨークでもお会いした原書房さん、そして僕ら二人。知った顔ばかりがあちらこちらで品物を見ている。オークション当日には、一誠堂さん、大矢書房さんも来るぞ、などとデマもとび、さながら古典会の大市のような雰囲気になっている。しかも品物の絶対数が少ない。これは荒れるぞー。
オークション当日はすさまじかったね。例の如く版画類からはじまり、淡々と進行していったのが、絵巻の分野に入るやいなや、オークション・ピット(目録にのっている参考価格)なんか吹飛んでしまう。異常な空気の中で驚くほど値が上がってゆく。私の思惑などあっというまにけちらされ、あれよ〵といううちに終了してしまたのだった。強気の斉藤さんもかなりの苦戦をしいられ、めだつ落札品は版画・絵巻の大物を各一点ずつしとめ得たぐらい。それでも前回、ニューヨークでの購入額をはるかに超えてしまっている。
私はと言えば、ゼロ!皆無なのであった。嗚呼。二点ばかり相当に我慢して手をあげ続けたのだが、気力負けと言おうか、資力の差と言うべきか、すべて他にとられてしまった。むしろさっぱりあきらめがついた気分だった。ただ、親父にどう報告しようかと思い、快晴のロンドンにあって、心はこぬか雨であった。
唯一、附録的な収穫は、ちょうど同時期にサザビーズのオークション下見がロンドンの会場で開かれており、日程上参加はできないのでいくつか値段を指定してきた。帰国後にその内の絵巻が一点落札したとのしらせがあったことである。そんなこんなであったがおちこみはしない。捲士重来、この次の機会には負けないぞ。
さてロンドン。商売の方はさっぱりであったが、この街はおちついていて気に入った。旧い立派な建物が多く、お伽の国に入り込んだよう。夜は十時頃になるまで日が暮れず、治安も良いために、遅い時刻に出歩いてもちっともこわくない。ただ経済上のかげりが影響しているのか、貸室の看板がやたらに目につく。ゆっくりとしてみたい所だった。
時間がとれずに観光らしいことはほとんどできなかったが、ここはニューヨークにまさる演劇の本場である。はたしていたるところに劇場があり、毎日十本以上の劇やミュージカルが上演されている。目うつりしたが「オペラ座の怪人」は日本と同様満員御礼。ならば「レ・ミゼラブル」を観ることにする。前売り券を買い、当日胸を躍らせて席についていたのだが、どうも横に立っている女性が困惑したような様子。係員に券を見せるようにいわれ気づくとなんと日にちをまちがっていたのだった。開演直前にすごすごと退出。入場口にかけあっても埒があかず、その晩は結局何も観ずにホテルに帰るはめとなった。お誘いした斉藤さんにも申訳なく平あやまり。もっと英語を勉強しておくべきであった。そういう訳で、ミュージカルは「ミーアンドマイガール」という喜劇を一本観るにとどまる。これは、面白かったので満足だったが、どうもロンドンではツキがない。
観光とはいえないが、特筆すべきは、本屋が全員、大英図書館へ招かれたことであろう。日本書担当の女性に案内していただく。ケンベルの「日本史」の分厚く製本された自筆稿本を手にとって見るなど、このような機会でもなければできることではなかろう。また、この図書館の目玉のひとつ、敦煌の文書類も拝見した。井上靖の小説で知っていたが、あの一万数千のぼう大な数の書巻が収められている書庫に入れてもらい、珍しい写本、写経のいくつかをひろげていただいた。商売などという小さな次元からはとてもおしはかれない貴重な体験をさせてもらう。図書館自体が日本とは比較にならない規模であり、収容力であった。日本の図書館も、もう少し…なとどは言うまい。それならば、それにふさわしい本を出してみろと言われると返す言葉もない。
ともかくも二度にわたる海外遠征の結論は、と言えば、ほこるべき成果はほとんど無いに等しいのだが、行かずにくよくよするよりは、行った方が良かった、という事だろうか。商売をつづけていく上で、よい刺激になったのは確かである。この場をかりて同行を快く承知して下さった斉藤さんに感謝する。
「古書通信」1998年8月掲載


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海外買い付けの巻

「古本屋奮闘記」海外買付の巻  
第1部 紐育初陣篇 

1989年3月18日、ニューヨークに旅立つ。クリスティーズのオークションに参加する為である。同行は玉英堂の斉藤孝夫さん。有体に言えば一人はこわかったので、連れていってもらったのだ。氏がビジネスクラスで私がエコノミーの席であったのは、双方の経済力の差という外は無い。    
実はニューヨークには十年以上も昔、学生時代に来たことがあった。  
その頃演劇を少々かじっていたために、一度ブロードウエーを観てみたく、1週間たてつづけに劇場に足を運んだ。つくづく感じたのは彼我の役者のちがい、劇のつくりの較差であった。日本の新劇やミュージカルっていうのは、ようするに翻訳劇なのだなということだった。以後演劇の世界からは遠ざかってしまう。
商売で、とはいえ久々のニューヨークはなつかしい。歩いているだけ
でも、思い出とあいまってワクゝゝする。この街をひと言で表現するならば“資本主義のるつぼ”っていうところだろう。大金持ちと貧乏人がとなりあわせに同居している。電話つきの特大リムジンカーとホームレス、摩天楼とスラム、教会と追い剥ぎ、美術館と淫売宿…。大学、金融街、劇場街ETC。様々な人種や職種が、小さなマンハッタン島にひしめきあっている。十年前も今も同じように感じた。尤も当時は最低の貧乏旅行であったが。
 斉藤さんを誘ってメトロポリタン博物館、近代美術館(アンディ・ホールを特輯していた)を見学。夜はミュージカル「キャッツ」を観る。ブロードウェーだよ、本場なのだ。ウィンターガーデン劇場なのだよ。もう私は観劇で涙がとまらなかったね。尤も斉藤さんいわく、前半はつまらなかったね。後半は面白かったけれども。なんのことはない氏は前半分、寝てたのだ。ミュージカルファンが聞いたらおこるね。別の日に今度は一心堂の水井さんも一緒に「コーラスライン」を観劇。映画で知ってはいたものの、テンポの早い会話と場面転換についてゆけず充分に楽しめたとは言いがたい。ただし役者の動き、歌はさすがに素晴らしい。あたりまえのことではあるが。
 さてオークション。はじめは版画類がつづき、私はただ傍観。斉藤さんは気のむいたものを何点か落札。小手調べなどと言いながら、かなり金高なものもあった。水井さんも大物を1点入手。我が第一の標的は、本の分野ではじめの方に出品される遠近道印作『東海道分間絵図』五帖である。カタログには特に説明もなかったが、現物は手採色の入った初刷本で、保存の良いもの。じかに見て気に入る。題簽が二冊分しか残っていないけれども、望むべくもない。内心こいつだけはどんなに高くなっても手を下ろすまいと、ほぞを固める。しばらく版画の部が終わり、いよいよ本番。オークショナーをにらみつけるように手を上げ続ける。値の低いところで会場内に相手はいなくなった。あとは電話注文との競合である。これがどこまでも追っかけてくるのだ。かろうじてふみこたえたものの、腹づもりの倍以上になってしまった。落札したときには喜ぶよりも不安になったくらいである。後に聞いたところによると、やはり同業者の注文で、カタログの写真から手彩色のものと判断したそうである。偉いなあ。
 勢いに乗じて、あと二点ほど入手。少々予算オーバーだったが、はじめてにしては満足して良いだろう。斉藤さんはすごかったね。哥麿の絵本に集中し、保存の良い品だけをすくいあげるように落札。眼をむくような値だったが、気にもとめず次々と手を上げ続ける。この人の負けん気の強さは、人あたりのよい外面からは想像できない。今回、点数の少ないせいもあり、欲しいものは全部採っちゃったのではないかしら。夕食の時こう話してた。
「あの時、中野君が分間絵図を追ってたでしょう。もし手を下しそうになったら、わきで押えてでも買わそうと思ってた。…」
有難くも恐ろしい先輩である。つまり業者として、欲しいと思った品は断固としてとる覚悟をもて、と言っているのだ。オークション或いは日本の市場でも、競合に勝つには、どんな知識や見識を持っていてもそれだけではいけない。まず品物を買わなければ、この商売ははじまらないのだと言っているのである。ともあれまずはめでたしゝゝ。その夜の酒のまわりがはやいこと。
「古書通信」1998年8月掲載
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