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Author:テンポスタッフ
東京都杉並区西荻窪にて新装開店の中野書店です。

インターネット販売と、年3~4回発行予定の目録「古本倶楽部」を中心に書籍販売をしております。

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みむかしはん

          
  二月といえば受験シーズン。朝にお茶の水駅から下ってくると間々、緊張した面持ちの若者の一群に出くわすことがある。   ああ、今日は明治大学の入試かと思い当たるのだが、今を去る三十数年前、実は私もこの集団の中にいた。どういうわけか毎年この季節には雪が降り、そういえばあの日も大雪。ともかく試験会場は寒かった。
そして入学したのは文学部演劇学科。なんで演劇だったんだろう、聞かれても困る。芝居の経験なんて全くなかったのに、なんとなく面白そうだと。いわばなりゆきです。しかしながら動機はあいまいでも学校生活は愉しかった。むろん学業ではない。不謹慎だが時間とエネルギーのあり余っている年頃には、机に向かうよりも芝居を打っては解散、劇団を募っては壊す、積んでは崩しのパワフルな日々は授業より、いや麻雀やコンパなどよりもはるかに充実していた。他の学部のことは知らないが、退屈をもてあますことはなかった。
  だいたいみんな、勘違いしてここへ来る。演劇科だから創作の現場に立ち会えるんだろうと。ところが本分は「学」なのですな。「技」ではなく「史」や「論」を学ぶことが主眼である。学問として演劇を学ぶ場所なのである。当然、授業といったらギリシャ悲劇やらシェイクスピアやら、能やら狂言やら。二、三ヶ月もするとぼつぼつ、こんなはずじゃなかったと思いはじめる。俺たちこんなことしてて良いのか? ほかにやることがあるんじゃないか? そこでおもむろに仲間を募り、自らの手で芝居を立ち上げる。既存の劇団に入る者もいたが、いずれにせよ人のよさそうな教師に頼みこんで判子を貰い、空いた教室を借り受け、窓に目張りをして臨時の劇場に。照明器具だけはレンタルだが小道具や衣装類はみな手作りしていた。
  だいたい教室がほどよく汚かった。学生運動の名残りもあってか、ことに芝居をする連中は誰もが校舎を好きに使って良いと思い込んでいた。勝手な話でさぞかし学校にとっては迷惑だったろうが、自由にできる場所と時間があることは心地よい。だから真面目に通うのである。一日中学校にいる。ただし日課といえば芝生の上で発生練習やら柔軟体操。さらには空いた教室にもぐりこんで、脚本の読み合わせや道具作りに日々忙しい。やむなく授業は余技と化す。専攻が専攻だけに、みな代返は上手かった。ただし試験前になるとノートの貸し借りで右往左往。芝居の合間に試験が用意されてたんだな、きっと。まあ、あの頃の演劇科は毎学年ごとにそんな雰囲気だったらしい。
  明大前の和泉校舎で二年、お茶の水に移ってもやることは変わらない。当時、明大の正面には学生運動の巨大な看板が鎮座してたのを記憶している人も多いだろう。あれほど目立ちはしなかったが、よく見れば芝居のポスターもそこらじゅうに貼ってあった。日替わり週替わり、どこかの教室でどこかの集団が公演してる。その頃の本校には551ホールという照明設備の備わった教室もあり、しばしば劇場として使われた。むろん私たちも芝居をさせてもらった。今どきはどうなんだろう。現在の瀟洒な校舎を眺めながら、これはこれで素晴らしいと思う反面、塵ひとつない教室だと、学生たちが勝手に垂木を這わせて舞台を組んだり、釘をうって照明をつるしたりはできないだろうなあ。数千人も入れるような立派なホールはあるけど、そこはせいぜい数十人程度の学生客を相手に胡散臭い芝居ができるような場所ではない。いまどき本校内で芝居なんかできるのかなあ。むろん汚いのも困りものだが、好き勝手できる空間がないのはそれ以上につまらないんじゃないかな。学生にとってどちらが幸せなのだろうと疑問に思うこともある。が、ともかく当時はそんな具合で、一学年からいくつもの集団が生まれては消えていった。
  明治の演劇といえば、先輩にはかの状況劇場・唐十郎。近年ではNHK朝ドラ『わかば』の原田夏希や『花より男子』の井上真央がここの出身と聞くが、私の同期には後の『おしん』こと田中裕子がいた。在学中に文学座に入り、あれよという間に有名になったっけ。さらに同世代でいえば、残念ながら明治ではないがあの頃、東大に一人すごい奴がいるらしいと評判になってた。どれ、ひとつ目利きしてやろうじゃないかと、駒場の校内にあった劇場に赴いたことがある。立ち見も出る満席の舞台で、目もさめるオーラを発していたのが野田秀樹である。タイトルは『咲かぬ咲かんの桜吹雪は咲き行くほどに咲き立ちて明け暮れないの物語』。舌がまわらん。これが夢の遊民社の旗揚げ公演だった。筋立は失念してしまったが、煌く科白の洪水、息つく暇もない役者たちの動き、複雑な構成にはすっかり圧倒させられた。世の中に天才はいるものである。この私のほかにも(笑)。
  さてさて、演劇専攻だからといって芸能の道に進むというのは、それこそ一握り以下。むしろ四年間でこれでは飯は食えんというのをヒシヒシ実感するせいか、大半は卒業すると別の道に進む者が多い。演劇に限らず芸術系学部の、これは宿命だろう。私たちも四年の秋になると、さすがに芝居どころではなくなり、卒論と就職活動でみな大人の顔になっていく。昨日まで一張羅のボロジーンズをはいていた奴が、ふと気づくと折り目正しいリクルートスーツ。なんと銀行や役所を目指したりするのである。あの、あいつらが、である。ちょうどその前後に神保町に神田古書センターがオープンし、親父が出店していた。なんとなく流れに乗り遅れた私は、色々事情もあったのだが、他にやることもないまま、なんやかや手伝いをしているうち、いつしか古書業界に首までどっぷりとつかってしまった。後悔はないが、あれからひとむかし、ふたむかし、気がついたら三むかし半の時が過ぎていった。
  二月が受験シーズンなら、三月は卒業の季節。神保町近辺の大学は武道館で卒業式を行うことが多く、九段下から神保町二丁目一丁目と、毎年この時期は正装の若者たちで賑う。男の子は背広、女の子は袴姿のいわゆるハイカラさんスタイル。うまく時期があえば桜の舞うなかを、三々五々連れ立って闊歩する風景は今も昔もかわらない。どういうわけか袴姿の女子はみな似合って見えるが、おおむね男子のスーツは様にならない。背広というのは着る者が社会でゴシゴシ揉まれ、少しくたびれた時分から体に馴染んでくるものなのかもしれない。もっとも私はいまだに似合わないといわれるが、これは仕事柄、年に数度しか着用する機会がないからである。数着しかないスーツは痛まないまま腰まわりがきつくなり、ついにこのまま死ぬまで似合いそうにない。
  三むかし半に話を戻すと、実は入学式はさぼってしまった私も、人並みに卒業式には出席している。会場はやはり武道館。挨拶や校歌斉唱などお決まりのセレモニーに少し白けかける。いや、私だけ祭のあとの欝モードだったのかもしれない。けれども、やがて今も鮮明に記憶している場面に出くわす。卒業生が大人数のため小中学校のように一人一人ではなく、各学部、学科ごとに呼ばれたら起立、着席するという儀式のときだった。演劇学専攻も呼ばれ、場内のあちこちで馴染みの顔がぼつぼつ起立する。と、どこからともなく拍手がわき起こった。指笛を鳴らす者もいた。他の学科生が起立した際にはついぞなかった光景である。立っている側はみなポカンと狐につままれたような面持ちをしてたが、ふと後ろの席から話し声が聞こえた。
  「まったく、こいつらが一番、面白そうだったよな」
  着席の声とともに拍手もしぼむ。が、私の中には幕が下りたあとの舞台に立っているような軽い高揚感が残った。そうなのか?俺たち面白かったのか? そうだよな、あいつもこいつも、俺たちみんな面白い時間を過ごしたよな。どうやら客も満足してくれたみたいだ。つまりはこの見知らぬ誰かのひと言が、私の卒業式になったらしい。

  あたらしき背広など着て旅をせむしかく今年も思ひ過ぎたる
  新しき本を買ひ来て読む夜半のそのたのしさも長くわすれぬ  
                                      石川啄木
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