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Author:テンポスタッフ
東京都杉並区西荻窪にて新装開店の中野書店です。

インターネット販売と、年3~4回発行予定の目録「古本倶楽部」を中心に書籍販売をしております。

また、2015年3月より毎土曜日は閉架式にて書籍をご覧いただけます。
詳細はこちらからご確認くださいませ。

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一人相撲

「一人相撲」

 落胆した話を聞かせよ、という。市場での届かなかった、負けた、やられた、悔しい云々という話をしろ、というのである。小生この手の話題にはことかかないと編集子に思われているらしい。残念ながら正解である。
 もう何年も前になるが、記憶に残っている方も多いと思う。南部会館に林若樹旧蔵のひと口が出た。古い写真類や書簡類、書物同好会関係の資料などを含んでいるが、おおむね玉石混交という印象で仕分も細かくなく、いかにもウブな面白い口。その中の、写本や書簡などが雑多に入れられた段ボール箱の中にあった。知る人ぞ知る「蘭東事始」(=蘭学事始)である。飾りっけもなにもない片々たる小冊の写本。何気ない様子で頁をめくるが、文字など追ってはいない。すでに頭の中はグルグル巻状態である。
 ご承知のように杉田玄白の「蘭学事始」は、当事者のみが伝えられる苦心や喜びを交え、本邦蘭学揺籃期の事情をヴィヴィッドに記した回想記で、文化年中に成稿こそなかったが上梓はされず、版行に及ぶのは半世紀ものち、明治に入ってからのことである。神田孝平が夜店の古本屋で掘り出し、福沢諭吉らが刊行するという前後の事情も面白いのだが、ここでは略す。実は「蘭学事始」の書名は福沢による命名で、それまでは蘭東事始、和蘭事始として、細々と写本でのみ伝えられた珍書である。現在、版本でさえ貴重書扱いされるのに、その上を行く大物であること疑いなし。さらにこれは林若樹の家から出たもの。つまり若樹の親父といえば林洞海。幕府奥医師、蘭方でならした幕末明治期の大物医なのだ。彼の写した(写させた?)玄白の「蘭学事始」。面白くない訳ないじゃないか。
 当時小生は年に一度ほど、幕末明治文献を集めた目録をつくっていた。これで今度の目録の巻頭写真は決定、はやレイアウトまで頭に浮かぶ。さて問題は入札値なんだな。これがわからない。(ハヤルナ、アセルナ)一度入れ(地区市ダカラナ、コレクライデ…南部さんごめんなさい)改めを入れ(イヤ甘ク考エチャイカン)更に考え直し(確カアイツモ見テタミタイダ)五反田駅まで向かう途中にまたひっくり返し(トモカク買ッテカラ考エヨウ)最終的に七桁の数字を書き入れたのだが…。本稿のテーマを裏切らぬがごとく、再度この書に出会ったのは、それからしばらく、斯界のベテラン、B堂氏の古書目録中であった。長文の解説を付したそれは、いかにも堂々と掲載されていた。
 獲られたことはいたしかたない。悔しいが一円でも高く踏んだ人が勝ち。思い入れが足りなかったのである。しかしながら今でも悔しいのは、市会翌日の開札を手伝ったらしい某氏の言葉である。「だめだよ、あんな札じゃあ、届きっこないよ。勉強不足だね、出直してらっしゃい。」こんちくしょう、言われなくても判ってらい。失敗は成功の糧という。が、糧ばかりで贅肉のふえた腹をなでさすることの、あまりに多いことよ。
「古書通信」1999年8月掲載


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